いよいよ2022年度の大学入試の幕が切って落とされた。
コロナの陽性者が急増する中で、
入試会場での傷害事件、
南洋の海底火山の噴火による水位上昇と情報の混乱・・・と
逆境下での共通テストであったが、
受験生たちはそれぞれに頑張ったようである。
さて、大手予備校の予想によると、
今年は総合点(900点)の平均が50~60点下がるとのことである。
これをどう評価すべきであろうか。
センター試験から大学入学共通テストに変わり、
理念としては「思考力を見る」ことに重きが置かれた。
これは正しい方向性だと思う。
では問題の中身はどうかと言えば、
確かに英語を除けば概ね好評なのではないか。
ところが、
それを台無しにしている決定的な問題が“解答時間の短さ”である。
時間内で終わり切れないほどの分量がある。
受験生は、考える暇もなく次の問題に進まなければならないのだ。
「思考力を見る」ために一所懸命練った問題なのに
受験生に「思考する時間を与えない」とは、何という矛盾であろうか。
何かを運営していくとき、
しっかりとした理念と、現場の正しい情報の把握が不可欠である。
共通テストは前者の理念はよいと思う。
しかし、後者はどうか。
実施者たちは、現場の実態を把握できていないのではないか。
その証拠は随所にある。
たとえば、昨年生物の平均点が他の科目より20点以上高かった。
それだけでも、受験生の学力を把握できていない証左である。
当然今年は難しくしてきたのであるが、その匙加減が分からないようで
今度は逆方向に極端に振れて、他の科目より一番平均点が低くなる。
要は試験問題の作成者たちは受験生を知らないのである。
大学入試センターのHPには、
昨年の第1回共通テストの科目ごとの評価が掲載されている。
そこには
「文字数はやや多く,時間を要した受験者がいたと思われる。」
といったのんきな、まるで他人事のような表現が並んでいる。
解析は問題ごとになされるだけで、
科目全体として受験生の負担はどうなのか、
さらには7科目を受ける立場としての受験生がどういう現実を持つことになるのかへの視点がない。
また
「平均点からも推測されるように,全体的な難易度は適切であったと思われる。」
とある。
マーク式のテストの場合、平均点から難易度を図ることはできないことをわかっていない。
共通テストはセンター試験より明らかに難易度が上がったにもかかわらず、
昨年の第1回の平均点は前年の最後のセンター試験より平均がわずかに上がっているのだ。
現場を直接知ろうとせず、上がってきた数値データだけを見ているのだろう。
日本の教育行政は偉い人々、重鎮の方々が「現場を知らずに」に走っている感がある。
かわいそうなのは受験生である。
その無理難題に対応していかなければならないからである。
結果として将来の日本を背負う若いアタマは、
思考する力を養うのではなく、情報処理のテクニックを身に着ける方へと走らされる。
かくて「国家百年の計」である。
しかし、心ある者はここで踏みとどまらなければならない。
確かに、こうした大学入試の性質に晒されれば
またぞろ表面的な対応に走っていくのが大半である。
特に今は資本主義の世の中であり、
当座の利益を求め、目の前の効用を目指しがちである。
しかし、そうであればこそ大事なのは
しっかりと「本当の学力」を付ける努力をすることである。
今急いて誤った表面的な情報処理技術を身に着ける方向へ走れば、
将来必ずそれは使い物にならなくなる。
世の中は変わるのだから。
そうではなく、その根底に時代を超えて力を持つしっかりした「本当の思考力」を養い、
それをもって情報処理を行う構造を自分の能力にする受験勉強をこそ
受験生はすべきである。
医学部志望者が大半を占めるGHS生も
荒波を乗り越えながら、何とか国立大学医学部の受験資格を得る点数を取った者が
続々と現れている。
これからが本当の本番である。
最後まで自分の力を信じて頑張り抜いてほしいと心から思う。