訳あって、久々にシェークスピアを読んだ。
考えてみれば浪人時代に『ハムレット』と『ロミオとジュリエット』を読んで以来である。
もう40年以上も前のことになるわけだが、
「シェークスピアはなんて表現が豊かでうまいのだろう!」との
そのときの感激がいまでも強い印象として記憶に残っている。
「通常の作家が5000の言葉を使うとすると、シェークスピアは20000の言葉を駆使している」と、
専門家がラジオで話していたのを聞いたことがある。
(数字の記憶の正確さは多少心もとないので恐縮だが・・・)
もちろん語数が多いというだけの話ではなく
その使い方の妙であり、例えのうまさであり、話の展開であり・・・。
今回は『ヴェニスの商人』を読んだのだが、
半世紀前の感動が改めてよみがえった。
こういうときである、
「これが文化だなあ。人間は文化を持つ存在だなあ・・・。」
と、改めて思うのは。
本来十代の感性豊かな時に、大いに文化に触れ、
人間の真の豊かさというものを心の底に育てていくべきなのだと思う。
しかし残念ながら、そういう視点は今の文科省の方針の中からどんどん薄れていき
それよりも、十代から金融の勉強をさせよう、という方向性である。
果たしてそれでよいのだろうか。
文化的な心を育てるカリキュラムをしっかりベースとして確保したうえでの
フィンテックなり、情報処理技術の教育がある分には良いと思う。
しかし、事実は前者を削っての後者の肥大である。
果たして金儲けに長けた人材ばかりを量産することで日本の将来は豊かになるのであろうか。
シェークスピアの作品は1600年前後に生まれている。
400年経った現在でも多くの人々を魅了しているからこそ
古典として今に生き残っているのだ。
さて、現代の教育は400年後の人々に感動を与える、感謝される何かを創り出しているのであろうか。
文化を創り出し、文化をつないだ世代として我々は評価されるであろうか。