「頑張る」とか「一所懸命にやる」という言葉は

よく使ったり、耳にしたりする言葉であるが、

その質や次元は取り組む対象によって異なるものである。

そのことが分かっていない受験生をよく見かける。

「医学部を受けたい」と言いながら、

頑張りの次元は高校入試並みなのである。

ただ、それが残念ながら本人には見えない。

外からは歯がゆいほどに見えるのだが・・・。

ワールドカップにそれを感じつづけた日本人は多かったのではないだろうか。

みんな「一所懸命」だったに違いない。

みんな「必死」にやったにちがいない。

しかし、それを「一所懸命」と言えるか、

「必死」にやったといえるかは、自分の主観で決まるのではないのである。

挑んだ対象のレベルで決まるのである。

掲げた目標のレベルが高ければ

「頑張り」のレベルも相応に高くなる。

掲げた目標が高ければ

少々の「頑張り」を「頑張り」とは言わないという厳しさを

身にしみて理解した者のみが栄冠を勝ち得る、

蓋し、当たり前の理屈であろう。