私の敬愛する吉川先生(吉川義塾塾長)が

HPの9月10日付け『塾長の独り言』で実によいことを書いている。

是非御一読願いたい。

(吉川義塾のHPはGHSのHPにリンクされています。)

昨今の報道によると、親が子を殺す、子が親を殺すといった

信じがたいような事件が起きている。

もちろん、例外的な出来事だから、事件として報道されるのであって、

まだまだ健全な人間関係が日本社会の大部分であるはずである。

ただ、事件とまでは行かないものの、

何か不健全な社会の一面に時折、否、東京になど住んでいると

常日頃遭遇して眉をひそめる経験をしている人も多いのではなかろうか。

通りで体がぶつかった人同士がお互いに憮然としながら無言で去っていく。

なぜ,「失礼!」の一言が出ないのだろうか.

日頃の報道や直接目にする問題を考えてみるとき,

現在の日本社会が昔に比べて大きく失ったものがあることに思い至る.

それは,「人は一人では生きられない」という自覚である.

ここで,資本主義が・・・などと大仰なことを言うつもりはないが,

今の社会はあたかも自分が独りで生きていけるかのような錯覚を抱かせてしまう.

昔はみんなの力で自分があることを普段の生活で自覚できた.

今はそれができない.

だからこそ,意識的にこのことを子供に教えていかなければならないのだが,

今は大人がその自覚を持てていないから,子供からそのしっぺ返しを受けているのである.

挨拶をしない子供,初対面の人と会って笑顔を作れない子供等等

すべて大人の教育の“賜物”である.

人間は決して一人では生きられない.

みんなが力を貸し合ってやっと生きられる,

社会として,集団で,やっと一人前という存在が人間なのである.

なぜ挨拶をしなければならないのか,

なぜ敬語を使うのか,

なぜ感謝の心が大事なのか,

なぜ責任感や使命感を育てなければならないのか,

すべてはそこから来る.

昔はそれを自然に覚えることができた.

それを今の時代,今の社会に求めることはできない.

だから,意識的に子供に教えていかなければならないのである.

もちろん,子供にいきなり理屈を説いて通じるはずがない.

小さい子には理屈ぬきで,

挨拶をすること,

「ありがとう」を言うこと,

人を助けることを“快”と感覚させること等等

を教えていく.

そして成長とともに少しずつ理屈を伴わせていけばよいのである.

そうした理解は視野の広さを生んで,学力にも通じていくのである.

今の受験勉強は,このもっとも肝心なことを教えずに,「教科」を教えるから,

教科だけの勉強で済む試験を勝ち抜いた公務員たちが

平気で税金を裏金にするのである.

「うちの子は勉強しないでこまる」

「言葉遣いが乱暴で・・・」

すべては一番肝心なことを教えてこなかった報いではなかろうか.