先日の毎日新聞に,

論語や漢詩を教材に使い始めた小学校の話が出ていた.

もちろん,賛否両論あるだろうし,

やり方次第でもあるだろうが,

小学校で英会話をやるよりはよほどよいと思う.

漢文のよさの一つはその重みと落ち着きにある.

現代の社会風潮が軽きに失していることが

様々な問題噴出の底流にあるのではなかろうか.

底流にしっかりした重みと落ち着きがあった上での

息抜きの軽さなら良い.

しかし,現代日本は底流が浮ついているどころか

社会保険庁の杜撰さに象徴されるように

あってはならないところがいい加減であり

軽すぎるのである.

テレビをつければ,

くだらないバラエティー番組のオンパレードで,

それが息抜きやユーモアの域を超えて

現代日本人の軽さの充分一翼を担っている.

大学入試問題の英文の軽いこと軽いこと・・・.

大量の情報をテキパキと処理する能力を必要とする現代にあっては

大学入試も長い英文を短時間で処理する学力(?)の試験となっている.

でも,一体何を処理しているのか?

表面的な内容の部分部分をつまんだ問を作る以上のことはできない.

そこに深い思考やいわゆる味わいなどの入る余地があろうはずがない.

そうした問題でよい点数を取ろうと頑張る受験生の頭は

ますますものを深く考えない,突き詰めない,味わえない

軽い頭になっていくのである.

どこかでこれを食い止めなければ

“軽さ”の洪水はますます日本の平原を満たしていくだろう.

以下次回.