先日訳あって仙台に帰省。

実家の近くをぶらぶら歩きながら、

故郷に対する知らず知らずの思いの深さを

改めて感じたことである。

実家の周りを81歳になる母親と散歩をすると

近くの高校の野球部の生徒が

坂道をランニングで登ってきたようだ。

見知らぬはずである私と母親を見つけると、

みんな帽子を取って「こんにちは」と

挨拶する。

監督の指導によるものであろうが、

よいことだと思う。

お袋は昔の人だからその高校生たちに

何かと話しかけ、励ましていた。

他方、帰京するため帰りのバスに乗ると

中学3年生か高校1年生くらいの生徒が

自分の荷物と共に二人分の座席を占めて

悪びれぬ顔をして携帯電話を動かしている。

ただ、全く罪の意識がなくもないらしい。

私はどこかで癇癪を起こす性質なのだが

84歳の老いたる父が優先席に座れたことに

溜飲を下げ、

結局何を言わないまま、目的地の停留所で降りた。

今、東京で電車に乗る時でも、

新たに乗り込んでくる人のために

スペースを空けようとか

通りやすいようにしようとかの

気遣いがあまりに乏しい。

そういうストレスが沸々と蓄積しているのが

自分の中でも分かる。

いつか爆発しそうな気もしないでもない。

先日電車に乗り込もうとすると

何も考えていない若者が

けだるそうにつり革につかまって

こちらが乗り込むのを通せんぼするかのような気遣いのなさである。

私は喉もとまで「どけ!」という言葉が出掛かったが

思いとどまった。

そのうち、やってしまいそうである。

トラブルが報道沙汰にでもなった暁には

どうか大人気ないとお笑いいただきたい。

そのくらい腹に据えかねることが

多すぎる時代である。