前回のブログで予告したように、GHS生の生き生きとした学びの様子を少し紹介したい。

時代が下るほどに様々な参考書が多数出てきて、受験生には便利になっていくものである。
私が受験生だった時代と比べて、今の参考書の種類の豊富さ、説明の丁寧さはうらやましい限りである。
しかし一方で、時代が下るほどに、
受験生がカバーしなければならない知識量・情報量が膨大になっていくというのも
また避けられない傾向である。
英語にしても入試問題の英文の長さは、たとえば東大の二次試験の問題では昔の数倍に増えている。
今教育界の中でも表立って話題になっているのが生物である。
生物学の世界でどんどん新しい知見が増えていくにしたがって
それが高校生物に下りてきて受験生は膨大な量を覚えなければならなくなっている。
その結果、受験生の間で生物を受験科目として選択しない傾向が生まれるに及んでやっと問題視されはじめたのである。
そこで今GHSではじまっているのが、受験界初の「生物の体系化」である。
そもそも知識や学習の方法論について体系性が全くと言ってよいほどにない世間の受験界にあって
その筆頭ともいうべきが「受験生物」である。
膨大な知識を端から覚える学習を強いられているのが「生物」という科目なのである。
ご存知の通り、GHSには「体系化学」「体系物理」があり、数学では「セメント」と呼ばれる体系性がある。
その薫陶を受けて京都大学に進学しGHSに戻ってきた田川先生が中心となって
今GHSでは生物の体系化が始まっているのである。
勢い、生徒たちもその刺激を受けて、自らの学習の体系化を志向して主体的な学習に拍車をかけている。
先日、ある3人の生徒が「空いてる教室を借りていいですか?」と尋ねる。
「いいよ。何するの?」
「それぞれが生物の遺伝のところを系統だててまとめたものを持ち寄って議論するんです。」
こういう受験勉強は大事だなあ・・・
教室からかすかに聞こえてくる彼らの声を聴きながら、塾長としては大いに快適であった。
昔から、廊下でよく勉強を教え合ったり、議論し合ったりする学年がままあり、
そういう学年は進学成績も良い。
なぜならば、学習に喜びと主体性があるからである。
受験勉強は苦行ではない。
たいへんだが、そこに学ぶ意欲と分かる喜びと実力が付く至福とを味わうことこそ
真の受験勉強である。
終わるのを待って教室に入り、「どんな話になったんだい?」と水を向けると
輝いた目で答が返ってくる。
もうだいぶ遅い時間になっている。
帰りしな、私が戸締りをしていると、その生徒の一人が
「先生、もしかすると、わざわざ僕たちのために教室を閉めずに残っていてくださったんですか?」
これだけ熱心に生き生きと勉強している生徒を中途で追い出すわけにもいくまい。
それを分かって気遣いの言葉を掛けてくれるのもまた、彼らの知性が高い証左である。
「生徒あり、良く学びたる、また楽しからずや」というところであろうか。