前回のブログからだいぶ時が流れてしまった。
はや、11月である。
今年はコロナの影響あり、大学入試共通テスト初年度ということもあり、
いつもと違う11月であるとともに、
一方でまた毎年と同じ11月でもある。
いつもと違うというのはあえて述べるまでもないだろうが、
同じ11月という意味は受験生の心理の面である。
この季節になると、入試日までのカウントダウンの音が聞こえ始め、
緊張感が増してくるとともに、受験生は両極分化していく。
つまり、これまでの学習が順調に蓄積され、いやます実力を実感してくる受験生がいる一方で、
逆に苦戦している受験生は日の短さと風の冷たさに促されるようにココロが暗くなる。
後者の受験生諸君はここが頑張り時である。
何しろ入試は競争である以上、合格者があり不合格者が出るのだから、甘くはない。
実力がなければ容赦なく、ふるい落とされるのは致し方のないことである。
そういう世界に飛び込んだ以上は、弱音を吐くわけにはいかないのである。
しかし、大事な点は、
一つには現実の苦しさ以上に苦しんではならないということである。
人間苦しい時には必要以上に自分を悲劇の主人公にするものである。
自分の境遇の不運を創り、自分の才能の欠如を探そうとするものである。
そうして責任を転嫁しながらますます苦しみを深くしていくのである。
それをやめることである。
もう一つは、視野狭窄にならないことである。
たとえば、ケガをしたり、歯痛や腹痛を感じた時、人間は一気にその痛む部位に意識が集中して他が見えなくなる。
同じように、ココロの苦しみも、感じ始めるや一気に自分の心に意識が集中し、周りが見えなくなるものだ。
視野が狭くなるため、現実はもっと豊かな状況があるのに、それが見えない。
そして本人にとっては、「見えない」と「ない」の区別がつかなくなる。
「見えない」だけなのに、「ない」と思ってしまうのだ。
確かにそれは致し方ないであろう。
当人の立場になってみれば・・・。
しかし、だからこそ、周りのアドバイスが必要なのである。
しっかりした指導者がついて、視野を開かせ、苦しいながらも前向きに頑張って行かせる必要があるのである。
今年GHSで2年目を頑張っているI君。
今年は実に生き生きと勉強している。
昨年苦戦していた数学が飛躍的にわかるようになり、
物事が横断的・立体的につながって、
分かっていくとはどういうことか、実力はどうついていくのか等、
一段高いレベルの理解と実力とを獲得しつつある喜びを味わっているようである。
しかし、昨年は当然苦しんだ。周りの仲間が先に合格していった辛さも味わった。
しかし、今一次元上の世界に住めるようになってきて、長い人生を考えれば
むしろ明るい未来の展望が開けている幸福感がある。
手前味噌で恐縮だが、
何しろ、これはGHSだからこそ味わえる高みである。
I君はその幸運を分かっているからこその幸福感なのである。
もし昨年くじけていたら、ふさぎ込んでいたら、この高みは味わえなかったのである。
今が苦しくとも、否、今が苦しいときこそ、
広い視野で見れば、より明るい未来が用意されていること、
それを教えるのが指導者の役目であろう。
今苦しんでいる受験生諸君が
無駄な苦しみを自ら勝手に創りあげることのないよう祈るばかりである。