先日ポーランドで行われたショパンピアノコンクールで
日本人の若者が2位と4位に入賞して話題となった。
私は音楽には決して明るい方ではなく、
なんでも、そのコンクールが5年に一度しか開かれず、
音楽家にとってはたいへんな催しだそうである。
だから、今回の日本人の入賞は大変な快挙で
その後新聞やテレビでもさかんに取り上げられている。
素人の私も興味をもって、
いくつかの番組で部分的ではあるがその演奏を聴いてみた。
「人間というのはなんと素晴らしいのだろう!」天を仰いで心底感嘆したことである。
私から見れば神業としか思われない指の(指だけではないだろうが)技術もさることながら、
一音一音への力の込め方・抜き方、間、流れの持っていき方等々、
自分の感性・知性のあらんかぎりを駆使している姿への感動である。
そして何よりも素晴らしいと思ったのはこのコンクールに至るまでのそれぞれのプロセスである。
NHKのBSで、
このコンクールに参加した日本人の何人かについてのドキュメンタリー番組をやっていた。
それぞれがそれぞれの物語をもってコンクールに臨み、
そのコンクールでそれぞれのドラマが生まれる。
努力したものだけが味わいうる高尚なドラマである。
いかにも現代風の、飄々とした、ある意味自信に満ち溢れている若者が
演奏から戻ってきて、
「緊張で、練習や普段の演奏会ではありえないミスを2か所してしまった」とうなだれる。
素晴らしいシーンである。
なぜなら、それが人間であるし、だからこそ、逆に繊細な素晴らしい演奏も可能になるはずだ。
4位になった女性は3歳に始まるピアノ人生の途中で
ピアノに触れることさえ嫌になった過去を持つという。
また、緊張とは無縁と思える2位になった男性は3次予選の演奏から戻るや
「いやあ、緊張で体が思うように動かず、自分の世界に入り込めなかった」と悔しがる。
それでもついに入賞を果たしたこの二人に共通している点は、
そうしたそれぞれの物語を持ちながら、
ついには最終演奏に臨むにあたって
「とにかく演奏を楽しもう。この舞台で弾けることを楽しもう。」
という境地に達した点であったようだ。
こうした“境地”になれたのは、
それだけの努力とストーリーを持っているからこそである。
その物語とドラマこそが人間的である。

それにしても挑戦するということは素晴らしいではないか。
辛いけれども人間的であり、生きている証である。

さてわが受験生も、いよいよそれぞれのストーリーをもって来月より本番に臨む。
辛いし、緊張するが、
そこには挑戦する若者だけが味わえる
ドラマと物語と生きている実感とが待っている。
自分の人生をかけて、
逃げることなく、挑戦してほしいと思う。
それが若者の特権だからである。