受験たけなわであるが、少しそれとは離れた話になる。
GHSの前の路地から表の大通りに出ると、ちょっとした五差路がある。
先日用事があって少し早めにGHSを出て、五差路に差し掛かると、
一人のご老人が倒れているのが見えた。
信号待ちで止まっている車の真ん前である。
何とか起き上がろうとしているようではあるが、どうにもできずもがいている様子で
これは手を貸す必要があると近づいてご老人の手を取ろうとしたとき
「大丈夫ですか?!」と大きな声をかけながら40代のご婦人が血相変えて駆け寄ってきた。
するとまたすぐに同じく「大丈夫ですか?」と20代の女性が勢いよく走ってきてサッと老人の腕を取った。
3人で何とかご老人を起こそうとするのだが、
経験者はご存じだと思うが、人間は結構重いのである。
私が手を取って引き上げようとしても
手は上がるが、体は持ち上がらない。
肩をご老人の脇の下に入れてグイっと引き上げようとしながら
右手に持っている自分のカバンが邪魔だなあと思った瞬間
40代の女性が察して私のカバンをサッと持ってくれた。
私が右側、20代の女性が左側担当で何とか立ち上がることができた。
そのときちょうど近くにいた20歳くらいのラップでもしそうな若い男の子も何となく力を貸そうと近づいてくる。
ご老人はおそらく80代半ばだと思うのだが、
マンホールに杖が滑って転んでしまったとのこと。
「ありがとう。ありがとう。」と何度も何度も礼を言う。
「一人で歩けますか?」
「もう大丈夫です。」

そんなハプニングであった。
普段は人の往来を気にも留めず、スマホを見ながら歩き、
他人のことなど我関せずの東京砂漠の真ん中でも
ちゃんと駆け寄ってくる人たちがいることにほっとした思いであった。
現代はリモートワークに、タブレット学習、
さらにはメタバースへと進んでいこうとしている。
3年前入院した時には、医師たちは病室に来ずに
センターでPC画面のデータとずうっとにらめっこである。
ご老人の体の重さ、生きてる身体のぬくもり、息遣いを肌で感じながら
やはりこれが本当の人間と人間の付き合いであり
自然な社会の姿だと思ったことである。
そういったことが薄まっていく中で
平気で高齢者を詐欺の対象とし、
挙句には知らないところから犯罪の指示を出し
片や生身の恐ろしさを感じることもなく
簡単に闇バイトに応募するという
異常な日常が生まれているのではないだろうか。
人間が健全であるとはどういうことなのか
受験も含めた社会人になるまでの学習とは何を学ぶことなのか
改めて真剣に考えるべきであろう。